今回紹介するのは、宮沢賢治の「眼にて云ふ」という詩です!
宮沢賢治といえば「銀河鉄道の夜」や「注文の多い料理店」などでおなじみですね。
今回紹介する「眼にて云ふ」は、伊坂幸太郎さんの「魔王」という小説にも引用として登場しており、ご存知の方は多いかもしれません。
蜜柑
純子
それでは、童話作家・宮沢賢治が書き残した衝撃的な詩、「眼にて云ふ」を一緒に読み解いでいきましょう!
「眼にて云ふ」ってどんな詩?
純子
蜜柑
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
いかがでしたでしょうか。
そう、「眼にて云ふ」という詩は、1人の人間が今まさに死にかけようとしている瞬間を描いた詩なのです。
私はこの詩を初めて読んだ時、1行目の「だめでせう」で「変わった始まり方だな~」だなと思い……。
2行目の「とまりませんな」で「?」と疑問を抱き……。
3行目の「がぶがぶ湧いてゐるですからな」で嫌な予感がし……。
4行目の「ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから」でこの詩の語り手が今どういう状況にあるのかを察し、ひどく衝撃を受けたものです……。
「眼にて云ふ」の見どころは?
この詩の見どころは、やっぱりなんといっても「当事者」と「傍観者」で”死”に対する捉え方が明らかに異なるところでしょう。
まず注目したいのは、今まさに吐血を続けており、命の危機に瀕している語り手の人間。
当然ですが、私は吐血なんてしたことがありません。
おそらく、何の病気もなく、日ごろから健康に過ごされている方のほとんどは、経験がないかと思います。
が、吐血なんてもう、想像するだけで「苦しそう」ですよね。
きっと肺も喉も灼けるように熱くて痛くて、筆舌に尽くしがたいものなのだと思います。
しかし、この詩の語り手は、吐血のさなかに身を置きながら、そんな苦しさをまったく感じていないようなのです。
むしろ、「けれどもなんといゝ風でせう」や「焼痕のある藺草のむしろも青いです」などといったように、冷静に、作中の言葉を借りるなら「のんき」に、周囲の状況を確認し、居心地のよさそうな感すら伝わってきます。
蜜柑
純子
蜜柑
純子
そんな状況にある語り手に対し、語り手を懸命に手当てする「黒いフロックコート」の人物。
「医学会のお帰りか何かは知りませんが」とあるように、どうやら「黒いフロックコート」の人物は、医療の心得があるようですね。
吐血して倒れている語り手に、「本気にいろいろ手あて」を施していきます。
蜜柑
純子
まさに死を迎えようとしている者と、生かそうとしている者。
2人が見ている景色の違いが、歴然と分かってしまう最後の一文はまさに圧巻です。
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
純子
「眼にて云ふ」のココがエモい!
「眼にて云ふ」のめちゃエモポイントとしては、やっぱり今まさに命の灯が消えようとしている語り手本人が、非常に穏やかであることが挙げられます。
人間誰しも、やはり「死」は怖いもの。
死ぬ瞬間は痛いのか?苦しいのか?寂しいのか?怖いのか?
そういうことが何も分からないまま、ただ無防備に死の瞬間を迎えるよりほかはありません。
しかし、この「眼にて云ふ」を読むと、「”死”は、状況によっては、非常に穏やかなものなのかもしれない」と考えさせられます。
語り手の一番そばにいる「黒いロックコート」の人物ですら、語り手が感じている「のんき」さや、穏やかさに気付くことはできません。
だから、「死」とは実は安らかな一面も持っているものなのだ、ということには、その状況に直面しない限り、誰も知ることはできないのかもしれませんね。
純子
蜜柑
「眼にて云ふ」の語り手である人物が、どのように生まれて、どのように生きて、またどうしてこのような最期を迎えてしまったのかは、この作品を読むだけでは判然としませんが……。
それでも、最期の瞬間にそばに人がいて、懸命に手当てをしてくれて、綺麗な青空と透き通った風に包まれながら、穏やかに逝けたのだとしたら、それはすごく幸福なことだな、と思うのでした。
まとめ
以上、宮沢賢治の「眼にて云ふ」の紹介でした!
「死」の瞬間を描いた作品でありながら、あまり「重さ」はなく、非常に軽やかな雰囲気さえ感じることができるのは、賢治の腕があってこそのものですね。
短いながらも鮮烈な印象を放ち、想像力を掻き立てられる「眼にて云ふ」は、昔から大好きな作品です。
賢治の作品は、これからもいろいろと紹介していく予定ですので、その際はまたぜひお付き合いいただければ幸いです!
純子
蜜柑