こんにちは!
関東では今日(6/7)、とうとう梅雨入りが発表されましたね。
というわけで今日は、雨をテーマに純子と蜜柑の短いお話を書いてみました。
文中で紹介している「おじさんのかさ」という絵本、一度は読んだことあるよ!という方も多いかもしれませんね。
それでは、ごゆるりとお楽しみください!
雨粒ハミング
嫌な予感は、していた。
昼休みの時点で空にはどんよりと厚い雲が立ち込めていたし、五限目の数学の時間には雲はますますどす黒くなり、まだ午後の二時頃だというのに、辺りはすっかり薄暗くなっていたから。
そして、六限目の現代文が始まると、とうとう曇天からはぽつぽつと雨の雫が落ち始めてきてしまった。
「最悪だ……」
昇降口で不機嫌にひとりごちる蜜柑の目の前では、傘を持たない彼女をあざ笑うように、ざあざあと雨が降っている。
帰りのホームルームで、気象情報を見た担任が、関東も梅雨入りしたのだと話していた。
雨は嫌いだ。
濡れるのも不快だし、暗いのも気分が落ちるし、傘を持つのは面倒だ。いいことなんか一つもない。
ケースも何も着けていない、丸裸のスマートフォンを取り出すと、蜜柑はこの雨がいつまで降り続くのかを確認した。
どうやらまだまだ止みそうにない。
鋭く舌を打ち、もう濡れて帰るか、と覚悟を決めたその時だった。
「あら、蜜柑ちゃん」
後ろから、のほほんと能天気な声が聞こえた。
振り向かなくとも、誰かは分かる。
この学園で、蜜柑のことを「蜜柑ちゃん」などと気安く呼ぶのは、一人しかいないのだから。
「……お前かよ。水曜日以外は会いたくなかったぜ」
「まぁ、いきなり辛辣だわ! お友達に向かってひどすぎるわ」
「誰が友達だよ」
呆れたように息を吐く蜜柑の隣に、ぷんぷんと頬を膨らませた純子が並んだ。
外は憂鬱な天気だというのに、純子はいたっていつも通りで、ご機嫌斜めな様子もない。
ツンと顔を背けた蜜柑を、不思議そうな面持ちで純子が覗き込む。
「どうしたの? こんなところで立ち往生して」
「別に。お前には関係ね……」
「はっ……! 外は雨、昇降口で棒立ち、手には傘がない……これらの状況証拠から察するに、蜜柑ちゃん、傘を忘れたのね!!」
「声がでけー! んな分かりきったことでいちいち大げさに探偵ごっこしてんじゃねーぞ!」
学園内ではもっぱら不良だと噂され、周囲から勝手に恐れられている蜜柑に怒鳴られても、純子は一切臆することもなく、にっこりと微笑んだ。
「なら、私の傘に入っていくといいわ。駅まで送っていってあげる」
「はぁ……? やなこった、なんでお前と相合傘で帰んなきゃならねーんだよ」
「あら、相合傘が恥ずかしいだなんて、まるで小学生の男の子みたいなこと言うのね」
「なっ! 恥ずかしいとか言ってねーだろ! あたしはただ……!!」
言い募る蜜柑をよそに、純子は手にしていた黒い傘をバッと開いた。
その傘は、普段蜜柑が持つような傘より、一回りも大きいものだった。
「って、これ……男物じゃねーの?」
思わずそう突っ込むと、純子はパッと顔を輝かせた。
「よく気が付いたわね!そうなの、これは男性用の傘なのよ」
えへんと胸を反らす純子に、蜜柑は胡乱な視線を向ける。
「どーせ家出る時に慌てて、間違えて父ちゃんの傘持って来ちまったんだろ?」
「もうっ! そんなんじゃありません! これはね、かの有名な絵本、『おじさんのかさ』に登場する傘をリスペクトしてのことなの!」
始まった。
この空気、何やら純子お得意の「蘊蓄語り」が展開されそうな気配である。
「……やっぱあたし、もう少し校舎残るわ」
「ダメよ! 今日は夜までずーーっとこの雨が降るってお天気のお姉さんが言ってたわ! ほらほら、恥ずかしがらないで入る入る!」
「ちょ、おい! 引っ張んな!」
面倒くさそうな純子の蘊蓄語りを回避しようと打った手だったが、強引な純子によって蜜柑はあっさりと傘の下に引きずり込まれるのだった。
外の雨は相変わらず、先ほどまでと変わらない勢いでざあざあと降り続いている。
生まれてこのかた、雨に好意的な感情など持ったことがなかった蜜柑だったが、今日、今この瞬間、初めて、「雨の音ってのも悪くねーかもな」と思い始めていた。
なぜなら。
「それでね、『おじさんのかさ』っていうのはね、黒くて細くてピカピカの傘がとってもお気に入りなおじさんが主人公の、佐野洋子さん作の絵本なの! おじさんはそれはそれはもう傘を大事にしていて、雨が降っても決してその傘を開かなかったわ」
肩が触れるほどの至近距離で、横で延々と熱くまくしたてられるよりは、静かな雨音に耳を傾けていた方がマシだ、と思ったからである。
ったく、マジでうるせーな、こいつ。
とは思いつつも、強引にではあったが、一応傘を貸されている身として、あまり大きな口は叩けないのであった。
蜜柑の辟易した様子に気付いているのかいないのか、純子の口が休まる気配は一切ない。
「雨の日は傘を汚したくない一心で、おじさんは傘を濡らさないよう、大切に抱いて走ったりもしたわ。もしくは、他人の傘に入ったりね」
「迷惑極まりねーじゃねーか、そいつ」
「確かに、ユニークではあるわよね! 風雨の強い日なんかは外に出ず、強風にあおられて傘が壊れちゃった人の様子を見て、ホッと胸を撫でおろしたりもしていたの」
純子の声はどこまでも楽しそうで、弾んでいる。
雨の日に、こんなゴキゲンな奴、初めて見たかもしれない。
チラと横目で純子を見やると、喋りの興奮からか、彼女の頬は赤みを増し、瞳はいきいきと輝いているようだった。
「でもそんなある日、おじさんは子どもたちが楽しそうに雨の中、傘を差して歌いながら歩いているところを見るの。子どもたちの、『雨がふったらポンポロロン、雨がふったらピッチャンチャン』って歌を聴いて、それが本当かどうか確かめたくなったおじさんは、その時初めて、大切にしてきた傘を開いたのよ!」
「ま、しねーだろうな、そんな音」
茶々を入れてやると、途端に純子がぷんっと頬を膨らませて、小さく体当たりまでかましてきた。
「もうっ! 蜜柑ちゃんたら相変わらず絶対零度なんだから! ……初めて傘を差して町を歩いたおじさんは、雨粒が傘を叩く音や、道行く人の長靴が濡れた地面を踏みしめる音を聴いて、さっきの子どもたちが歌っていたことは本当だったんだ! って感動したのよ」
純子は、気持ちよく蘊蓄を語っている最中に、どれだけ蜜柑が茶々を入れても、少し頬を膨らませてかわいく抗議してくるだけで、それが終わるとまたすぐ笑顔に戻り、楽しそうに話の続きを始めるのだ。
それが分かっているから、蜜柑もついついわざと冷めたようなことを言ってしまうのかもしれない。
澄んだ声でさえずるように語る純子の声を聴いているうちに、蜜柑は、雨の中を歩いているという憂鬱な状況を忘れかけていたことに気が付いた。
「ね? ほら、私たちも今まさに聴いているじゃない! 雨がふったらポンポロロン、雨がふったらピッチャンチャン……」
純子が適当な節をつけて、小さくそう歌うと、不規則に降り落ちてくる雨粒も、途端に軽やかなリズムを刻むようだった。
男物の黒い傘に滴り落ちる雫が、二人の革靴が濡れた地面を蹴る音が、不機嫌をご機嫌に変える雨のワルツを奏でる。
「ねっ、ねっ、楽しいでしょう? 『おじさんのかさ』!」
「……『おじさんのかさ』より、お前の頭の中が相当楽しいことになってるっつーことだけはよく分かったぜ」
「もー! 蜜柑ちゃんったらほんっとに意地悪なんだから! そうだわ、意地悪な蜜柑ちゃんが更生するように、駅に着くまでの間、私がずっと歌っていてあげる!」
「は?」
虚を衝かれた蜜柑が思わず横を向くと、純子はすみれの花のような可憐さで、しとやかに笑った。
「雨がふったらポンポロロン、雨がふったらピッチャンチャン♪」
「ちょ、おい」
「雨がふったらポンポロロン、雨がふったらピッチャンチャン♪」
「って、マジで歌い続ける気かよ!」
「雨がふったらポンポロロン、雨がふったらピッチャンチャン♪」
「ま、周りの奴らが見てんだろーが! やめろ!」
「雨がふったらポンポロロン、雨がふったらピッチャンチャン♪」
「聞いてんのかコラーーーーー!!」
慌てふためく蜜柑を面白がるように、純子の歌は止まらない。
同じ傘の下という狭い世界で、濡れないように身体を寄せ合いつつも小競り合いをするうちに、蜜柑の雨に対する苛立ちや憂鬱は、サッパリ消えてしまったようだった。
「おじさんのかさ」
本文で純子が語っていたように、「おじさんのかさ」は佐野洋子さん作の有名な絵本です!
短くて読みやすいのでお子さまへの読み聞かせにうってつけですし、今の時期にもピッタリなので、ぜひぜひ読んでみてくださいねー!